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2017-04

【白い思い出と紅い約束】序章【小説】 - 2014.04.09 Wed

序章

 暗く厚い灰色の雲に覆われた空。その暗い空の下、音すらも凍りついたかのような世界に、ただ静かに舞い降りてくるのは、純白の雪。
 ここは白銀の凍てつく世界。葉を落とした樹々が、鋭く黒々と聳えているだけ。
 
 その中に私はいた。

 私は白い雪の中に仰向けに寝ている。私にも雪が舞い降りている。それはまるで白い羽毛のように軽やかに絶え間なく、私の冷たい頬に、額に、髪にと静かに積もる。
 私は目を開けようとした。でも、瞼は強ばって、うっすらとしか開かない。

 あなたをひとめ見たいと思ったのに、私の狭い視界には、雪の白と空の灰色と針のような樹々の黒い鋭い先端しか映らない。
 私にはあなたは見えない。でも、あなたは私を抱きしめているはず。
 あなたの消えかかった鼓動が、私の胸に温かく響く。あなたの弱々しい息遣いが私の耳に聞こえてくる。
 あなたの重みが心地良い。今、あなたの儚い温もりがいとしい。
 あなたの体からさらさら流れ出ているであろう、あなたの赤い命。
 あなたの温かいその赤が、この純白の雪を真紅に染めているのだろうか……。私の周りをあなたの赤が染めているのだろうか。あなたの命の色は、私をも染めてくれているのだろうか。

 ――まるで、赤いドレスを着ているみたいに――?

 あなたは私に、赤いドレスが似合うだろうって言ってくれた。
 あの時、あなたはグラスを傾けて、怒ったような顔をしていた。私が顔を覗き込むと、顔を逸らして頬を赤くしていた。
 そんなドレスを着て、あなたと踊ってみたかった。この舞い落ちる雪のように軽やかに。

 生まれ変わってもまた会おう、あなたは言った。
 私は雪に埋もれた自分の腕を動かした。もう動けないあなたを――冷たくなりつつあるあなたの体を――私の残った最後の力で抱きしめて微笑んだ。

 私は眠るだけ、だよ?

 目を覚ましたら、あなたは私の腕の中にいてくれるのかな。
 あなたは生まれ変わるんだね。
 そして、私を覚えてくれているよね。
 もし、生まれ変わったら、すぐに私を見つけてほしい。
 生まれ変わったあなたに会いたいから。すぐに、会いたいから。
 また一緒に笑おう。一緒に怒ろう。一緒に泣こう。一緒に歩こう。一緒に走ろう。一緒に空を見上げよう。
 またあなたを抱きしめたいよ。力一杯抱きしめてもらいたいよ。

 ……会おうね。

 これは現だったのか。それとも一つ短い夢が終わり、また始まるだけなのだろうか。
舞い落ちる雪が、夢の中においでおいでと、私に優しく囁きかける。白い雪の精たちが手招きをする。私を眠りに誘っている。

 ――あなたに出会った瞬間。その瞬間から幸福な夢を見始めた――そんな気がした。


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【白い思い出と紅い約束】一・出逢い(1)【小説】 - 2014.04.14 Mon

「白い思い出と紅い約束」

一、出逢い(1)

 海に面した小さな小国の、最も海から離れた場所にある小さな町。
 寂れた町の外れにある、煤けた建物が軍の駐屯地。事務室では数名の若者たちが雑談をしていた。
 紺のトレーニングウェアに身を包んだ若者――軍に志願した若者――が数名と、軍服を纏った男――こちらは正規の軍人である――が二人。椅子や机に座り、各々が勝手気ままに時間を潰していた。事務所らしく机が並んでいたが、今はほとんどが使われていない。
 首都を離れれば規律も緩く、地方赴任の軍人と現地採用の志願兵の若者は、先輩後輩のような穏やかな関係を築いていた。
 正規軍人のトオルは、窓際で煙草の煙を燻らせていた。外を見ても灰色の景色しか見えないが、煙草をくわえながら、静かに窓の外を眺めていた。
「この世界どうなっちゃったんだろうねぇ。太陽が恋しいねぇ」
 椅子に腰かけたまま背伸びをして呟いているのが、もう一人の軍人のサトル。彼の周りに後輩が集まっていた。
「空が霞んで寒くて農作物は不作だし。今年もこっちは大雪でしょ?」
 志願兵の中の紅一点のマリは、机に向かって書類を書いている。手を止めることなく背を向けたまま、サトルの言葉に返事するように言い放った。
「異常気象もここまで来ると末期ですよ」
 一人がぼやいた。
「精霊サマが荒れているとかって噂もあるっすよね」
「あ、あの噂ね。本当だか怪しいけどねぇ」
 後輩の呟きにサトルが答えた時、シンが新聞を手に戻って来た。大人しく真面目な青年だ。
「町にやっと新聞が届きました。でも、一昨日分と昨日……古い情報ですが」
 港から走ってきた彼は、肩で息をしていた。
 この国の中心には大きな湖がある。リトス湖と呼ばれる湖は国の唯一の水瓶で漁業ができる場所だった。しかしこの湖が国を分断していた。国内の移動、荷物の搬送にも、船を利用する羽目になっていた。
「お、サンキュ。僻地の俺たちにはさ、軍本部からなーんも連絡ないからね。古くても情報は情報。有難いねぇ。シンちゃんは気が利くねぇ」
 そう言うサトルは新聞を読もうとはしなかったが。代わりに机に向かっていたマリが、シンから一昨日の新聞を受け取ってバサリと広げた。
「ふぅーん。隣接する国以外の情報は無し、っと。東の国は変わらずだそうで国民流出防止のため、警備強化される模様……こりゃ逃げられなくなるわぁ。西の国は荒廃がひどく、餓死者続出。こっちには行かないわぁ。北の山脈の向こう……大陸は何者かの仕業でほぼ壊滅……」
「この前北部の山脈を越えて偵察に行った連中がいたな」
 背後から低い声がして、慌ててマリが姿勢を正して振り返る。煙草を吸い終えたトオルがマリの後ろから新聞を眺めていた。
 この情報と引き換えにトオルの同僚が大怪我を負った。北の山脈は険しく、立ち入るのは命を捨てるに等しいことだった。しかし、政府と軍の命令には従わねばならない。
山向こうにある広大な大陸が黒く焼け、地面から灰色の煙が立ち上っているのしか見えなかったと、怪我を負った同僚は言っていた。怪我が癒えぬままこの情報を首都に持ち帰った後、同僚は死んだらしい。
「あとは大した情報はなさそうか」
「ですねー。ん? え? ええ!」
「どした? マリっち」
 叫び声をあげたマリに、サトルが心配そうに声を掛けた。
「政府が精霊を捕まえたらしいですよ!」
 一同にどよめきが走り、マリの周りに駆け寄り、新聞を覗き込む。
「マジかよ。ガセじゃね?」
「『翼ある者』だって。……それって噂の? 天使?」
「翼ある……ってんだから、天使じゃないの? 精霊なの? 本当にいたんだねぇ」
 皆が騒ぐ中、昨日付の新聞を見ていたシンがぼそりと言った。
「――でも、昨日の新聞には『翼ある者』を逃がしたと書いてあります。首都配属の軍が怪我を負わせた、その精霊を逃がしてしまったようですよ」
「精霊って怪我するの?」
「それより精霊ってどんなの? イケメンなの?」
「いや、たぶん美人さんじゃないの?」
「美人の方がいいよな?」
「ったくよー。逃がすなんて馬鹿だなー」
「先輩に比べたら軍の本部の人は馬鹿じゃないんじゃないですかー?」
「うっせ。お前も馬鹿だろ。俺だってやるときはやるんだぜ。ま、軍にはさ、俺と同じくらい強い奴らがいるってのにねぇ。精霊サマは怖いんだねぇ」
 後輩達のからかいにサトルは怒った風もなく楽しそうに言い返した。その様子をトオルは苦笑を浮かべながらも無言のまま眺めていた。
「やーん。精霊って怖いー」
「俺がマリっちのことを護ってやるぜ」
「サトルさんには護ってほしくないでーす」
 流し目をしてみせるサトルに向って、マリはあからさまに嫌そうな顔をして舌を出した。
「……なんで俺を先輩って呼ばないワケ?」
「部隊違いますしぃ、さん付けなだけマシですし。先輩はトオル先輩だけっすからー。ね、トオル先輩! 何かあったら私のこと護ってくれますよね? ね?」
「何のために訓練してきたんだ? そんなこと言うなら志願兵辞めろ」
 冷たくあしらわれて、マリは「残念」と肩を落とし、周りで笑いが溢れる。その笑い声の中、眉間に皺を寄せたままシンが紙面を凝視していた。
「何か書いてあったか?」
 心配そうにトオルが声を掛けると、シンはトオルの顔を見て、静かに頷いた。
「――政府が首都近郊以外への、電気供給の全面停止を決定したそうです。数日中に各地域への送電を止めると……。政府の科学部門の責任者の話が……載っています」
「電気まで? ガスでもしんどいんだぜ? あれ?」
 シンの横から新聞を見た後輩が声を上げた。
「こっちの記事はなんだよ。地方からの反逆者? 処刑? 誰が何に殺されてるの? ……うわ、たくさんある」
「地元を救いたいって嘆願した役人さんも反逆罪で死刑? 地方に派遣された軍の人間の名前もあるじゃないか……。皆、仲間だぜ? 本部や首都に行っただけで殺されたってことなのか?」
 新聞を見たサトルの声が震えた。見知った名前が幾つもあった。理解したくない現実。水を打ったかのように事務所内は静かになった。
 突然、けたたましく事務所の電話が鳴った。
「あ、電話。こんな田舎の軍に何の電話でしょーね」
 嫌な予感がしたが、マリはわざと明るく言った。電話の近くにいた後輩が立ち上がった。
「俺、出るっすー」
 電話に出た後輩の様子がおかしい。緊張をしているようでしどろもどろだった。そしてトオルに目で助けを求める。
「どうした?」
 受話器に手を当てながら、後輩は困惑顔で助けを求める。
「トオル先輩、ちょっと……怖い人が」
「怖い人?」
 首を傾げつつ、受話器を受け取ったトオルの顔が青ざめた。
「お前は……」
 その電話の後、町中の灯りが消えた。


 大陸の南端にある小国・アルヒミヤ。その国の最北の町・ミタールは孤立することになる。
 湖は流通も情報も、時には人の心も分断してしまう。


【白い思い出と紅い約束】一・出逢い(2)【小説】 - 2014.04.20 Sun

「白い思い出と紅い約束」

一、出逢い(2)

 樹々の枝を振り払い、足場を確認しながら、トオルは道のない山中を一人歩いていた。無造作に生い茂る樹々は歩みを阻み、何度も立ち止まらざるを得なかった。天を見上げれば、樹々の葉の合間からは曇り空が覗くばかりだ。
 釣り上がり気味の、鋭い焦茶色の瞳が細められる。黒の短い髪が揺れた。顎は細く、精悍な顔立ちである。鍛えられた体はしまって細い。彼はいつもは軍服に身を包んでいた。しかし、今は変装のため薄汚れた服を羽織り、大きな荷を背負い、山道を歩いていた。
 彼は志願し軍に入隊し、また自ら希望し故郷の町へと戻っていた。
 今やるべきこと――現在のトオルの目的――は、国を護ることではなくなった。
 
 ……目的は二つ。
 一つは、地方への電気供給を再開させること。
 政府は資源の乏しい地方都市への電気供給を停止した。先日の電話以降、トオルの故郷も停電している。
 政府の決定に異を唱える地方の者達は全て「反逆者」として拘束され、処刑されている。地方配属の軍人や地方役人が首都に嘆願に行くだけでも、拘束されるという噂が流れていたが、噂は事実だった。
 自分が住む地の人々を護るために、政府の言う「反逆者」にならざるを得なかった。発電施設は首都にあり、政府が管理し軍が守っている。
 もう一つは「翼ある者」を捕獲すること。
 巷で流布していた、翼が生えた人間が空を飛ぶのを見たという話。人々の願いを叶えるとも、その者の血に神秘の力があるとも噂されていた。
 政府はその「翼ある者」を捕らえておきながらも逃がしたという。手元にあれば交渉に役立つかもしれないと、政府より先に「翼ある者」を捕獲しようという話になった。

 トオル達軍人は、各々の方法で首都を目指している。
 トオルは長く首都配属だったこともあり、顔が知られていた。湖の船着場での検問に引っかかる可能性が高かったので、人目につかないよう山中を移動していた。
(こんな時に、何が翼の生えた人間だ。それより電気だ。冬になる前に、何とかしないと……)
 リトス湖の南側に辿り着いた。湖の南側に首都があった。この辺りはまだ暖かかった。樹々の葉すら落ちていない。湖一つ隔てただけで気温がこんなにも違うことにトオルは驚く。数年前はここまでの気温差はなかった。
 黙々と歩みを進めると、いつしかトオルの耳にせせらぎの音が聞こえてきた。近くに小川が流れているのだろう。トオルは汗を拭い、肩にかけた荷物を背負い直す。小川に出るのなら、そこで休憩しよう。
 小さな川が流れていた。流れは穏やかで、小鳥の囀りが聞こえた。トオルは荷を置いて辺りを見る。今は荒れてしまったが、昔の美しかった頃の故郷に似た景色だった。透き通った水が流れる小川。小鳥達の囀り、風に騒めく樹々の葉の触れ合う音。

 トオルの目が一点でとまった。
 小川で遊ぶ一人の娘がいた。年はトオルより五、六歳……もっと下だろう。腰まで届く艶のある漆黒の髪が、陽光に煌めいていた。黒い瞳、桜貝色の形の良い口唇。娘は両手で水をすくっては飛ばして遊んでいた。
 その手は白く細かった。彼女は裸足で、その足も白く細かった。白いキャミソールに黒のショートパンツ。川原には黒いブーツが無造作に放り投げられていた。
 無邪気に小川で遊ぶ娘の姿にトオルは見とれた。
 娘は美しかった。娘の背には純白の翼があった。
 ――その姿は天使。

 娘がトオルに気付き、微笑みかけてきた。

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【白い思い出と紅い約束】一・出逢い(3)【小説】 - 2014.04.25 Fri

「白い思い出と紅い約束」

一、出逢い(3)

 娘は川原に裸足のまま上がってきた。石にぺたぺたと黒い足跡を付けて。
白い肌、風になびく柔らかな黒髪。形の良い唇は優しい笑みを湛えている。そして、陽光に煌めく白い翼。
 美しかった。この世のものと思えない程に、神々しくすら感じた。トオルは動けず、ただ娘を見つめていた。
(天使……なのか? 本当にいたとは……)

 しばらく見とれていたトオルだったが、はっと我に返る。自分の目的を思い出し、トオルの目付きが変わった。獲物を見つけた獣の目のように鋭く光る。落ち着いて、出来るだけ穏やかな口調で娘に問い掛けた。
「……お前は、ここで何をしている?」
 トオルの言葉に反応してか、娘は小さな背に翼をたたんだ。
「水遊び、してるの」
 言葉は通じるようだ。たどたどしい話し方が幼い印象を与える。
 静かに娘に歩み寄るトオルに娘は怯える様子もない。微笑を湛えたまま、その場を動かずにいた。
「お前は精霊だな? 『翼ある者』だな?」
 トオルが娘の目の前に立った。トオルの頭ひとつ分背が低い娘は、曇りのない黒い瞳でトオルの顔を見上げた。
 ズボンのポケットに左手を入れた。背に隠したトオルの右手には、短いナイフが握られていた。
「お前が『翼ある者』だな?」
 もう一度、静かに問い掛けてみる。娘は首を傾げたあと、無邪気に言った。
「あなたも、そう?」
 無言のまま、トオルは左手で娘の腕をとる。
 娘は小さな悲鳴をあげたが容赦しない。ナイフを口にくわえ、ポケットに忍ばせていた紐で娘の両手をきつく背で縛り上げる。背に小さくたたまれた翼にも紐をきつくかけた。
「いたっ! やっ、やめて!」
 トオルは娘の豊かな黒髪を掴み上げた。無理矢理顔を上げさせ、娘の首もとにナイフを突き付けた。首もとに突き付けられたナイフの冷たさに、娘が震えてべそをかく。
「お前が何をしたと言う訳ではないが、お前を捕まえるのが俺の仕事なんだ」
 無表情に娘の顔を見た。
「お願い、……いじめないで」
 娘の目には涙が溢れていた。純粋に恐怖に震える娘を見て、トオルが娘の髪を離す。豊かな黒髪が娘の背を流れ、小さくたたまれた翼をうまく隠していた。トオルは啜り泣く娘を見下ろし、冷たく言い放った。
「お前は俺の獲物だ。いじめやしない。ただ俺の言う通りにして、ついて来ればいい。それだけだ」
 啜り泣きながらも、娘は何度も頷いた。
 それから二人で山を歩き、町が近くなり人が踏み固めた山道に出た。トオルは後ろも見ず、自分の歩幅で黙々と歩いた。娘はしくしく泣きながら、繋がれた紐で引きずられて転びそうになりながらもトオルの後に続く。

 長くかからずに町へ出た。リトス湖の船着場のあるルトゥチ町の東側に位置する、比較的大きな町だった。トオルは娘の頭を押さえ付け、茂みに隠れて様子を窺った。人も多く、街は賑わっている。
「ま、町……行くの?」
 震えるか細い声で、娘がトオルに訊いた。
「そうだ。お前は黙ってついて来い。変な真似はするなよ」
「まね、しないよ。へんな、真似。でも、人、こわいよ」
 娘は青ざめながら、トオルに擦り寄ってきた。トオルは不思議に思った。この女は他の人間は怖くて、俺は怖くないのか?縄で拘束している人間なのに。
「俺の傍を離れるな。そうすれば誰にもお前を傷つけさせない」
 トオルの顔を見つめながら、娘は静かに頷いた。

【白い思い出と紅い約束】一・出逢い(4)【小説】 - 2014.05.06 Tue

「白い思い出と紅い約束」

一、出逢い(4)

 町は活気に溢れていた。電気が灯り、建ち並ぶ店にはひっきりなしに人々が出入りする。町人に混じり軍人が歩いていたが、彼らの表情は緩んでいる。
 トオルの深い茶色の瞳が細められる。この町の警備はそれほど厚くないようだ。警備が厳しいのは船着き場のある隣町のルトゥチの方だろう。今、地方から人が入ってくるのを警戒している。
 茂みに隠れ、トオルは身に付けていた汚れた服からカジュアルな服に着替えた。黒のジャケットにパンツ、革靴。変装に使っていたものは全て捨てた。
 そして横にいる娘の顔を見る。すでに涙は乾いていたが、頬は涙の伝った跡と土埃とで汚れていた。
 仕方なく娘の顔の汚れを拭いてやり、娘の翼と締め上げた紐を隠すために、荷の中から取り出した自分の上着を羽織らせた。

 娘をきつく抱き寄せるように歩いた。逃げられないように。そして不審に思われないように。
 この町にもこの娘を探している者がいるだろう。細心の注意を払い、トオルは娘の腰に手を回していた。娘は折れそうなくらい細かった。娘は逆らうことなく、トオルに寄り添うように歩いた。傍から見たら恋人同士のように見えるだろう。
 すでに辺りには闇が漂う刻限だった。それなりに値段のする宿に入る。トオルは偽名を使ったが、問題なく二人は部屋に案内された。娘がしきりにトオルの顔を見上げて、嬉しそうにしていたので、全く怪しまれなかった。
 部屋に入ったトオルは、ドアに鍵をかけ、灯りのない部屋の床に無造作に娘を放る。娘は床に打ち付けられ、小さな呻き声をあげたが、トオルはそれを無視し、無言のまま、娘の横を通り過ぎた。厚い絨毯で、靴音はしなかった。
 トオルはそっと窓に近付いて外を窺う。怪しい者はいない。そして遮光のカーテンを閉めてから灯りをつけた。床に肩にかけていた大きな鞄を置く。旅が続けば中身は減るだろう。
 安くはないホテル。調度品もしっかりしている。壁を軽く叩く。部屋の壁は薄くはない。フロントで見た感じでは客も多くなさそうだった。少々騒いでも大丈夫だろう。
 トオルは床に落ちた自分の上着を拾いあげた。なんとか自力で絨毯の上に身を起こした娘が、その様子を見ていた。
 露出した白い肌は土埃に汚れていた。縛られたままの腕と手首が紐でこすれて赤黒くなり、翼は娘の背で小さくたたまれ、きつく縛った紐が食い込んでいた。
「逃げたいか?」
 冷たい視線で娘を見下ろすトオル。娘は顔を上げ、トオルの顔を見つめた。その後口を尖らし、俯いた。
「逃げて自由になりたいだろう?」
 絨毯を見つめたままで、娘は頭を振った。
「逃げても、行くところ、ないから」
 娘の声が震えていた。
「人、こわいから。いじめるから」
 そこで娘は顔を上げ、トオルの顔を見た。目に涙をためていた。
「あなたも、そうする?」
 トオルは冷たい視線で娘を見ていた。手にナイフを握っていた。
「さあな。殺しはしないが、お前の出方次第では怖い思いはするかもしれないな」
 ナイフと言葉の冷たさに怯え、自由にならない姿のままで、娘は大粒の涙をこぼす。
「真実を話せば傷つけはしない。知っていることを話せ」
「こわいのや! やだ」
 泣き出す娘を見て、ナイフをしまいながらトオルは腰に手を当てた。苛立ちを何とか抑えようと大きく息を吐いた。娘はしゃくり上げながらその様子を見ていた。
「こ、こわくしない?」
「……そう心がける。お前、名前はなんという?」
 しゃがみ込み娘の目を見つめ、出来るだけ優しい声音で問い掛ける。
「……ひっ、ヒナ」
「ヒナというのか……。お前は何者だ? 天使か? どこから来た? 何の目的で?」
 ヒナと名乗った娘は、何も知らないと言うばかりで、強い口調で問い詰めても刃物をちらつかせて脅しても、涙をこぼしながら頭を横に振るだけだった。
「わからない、の」
「わからないわけないだろう? どこで生まれて、何故背に翼が生えていて、どんな理由でここに来た?」
「わからない! ……わからない、の。気が付いたら、私はみんなと違ってて、翼があって。翼を見ると、石を投げられたり、いじめられるから、逃げてきたよ。山も越えた、よ。でも、でも捕まっちゃって、逃げた、の。だから、だから町はこわくて、こわいから、来たくなかった……」
 記憶を失ったのだろうか。何も知らないわけはないはずだが、ヒナと名乗った娘の言うことに嘘はないようだった。
 簡単すぎるほどにあっさりと獲物は捕まえた。あとは仲間と会い、もう一つの目的を遂行すること。
 できたら無事に故郷に帰ること。この、得体のしれない獲物を生かしたまま。
 トオルは無言で立ち上がった。ヒナが涙で濡れた顔を上げる。
「どこに行くの?」
「お前に言う義務はない」
 ヒナはますます泣きだした。
「どこ行くの? どこ行くの? ねぇ、ねぇねぇ、どこ行くの?」
 同じ言葉を何度も繰り返され、トオルは怒鳴りたい気持ちをなんとか堪えた。
「……メシだ。帰ってくるまでそのままでいろ。騒いだり、逃げようだなんて考えるなよ」
 灯りを消してトオルがドアノブに手を掛けると、ヒナの弱々しい声が聞こえてきた。
「ひとり、じゃやだ。連れていってよぉ」
「馬鹿か。誰がお前なんかを連れていくか」
 暗闇から嗚咽が聞こえたが、トオルは無表情のままドアを閉め、鍵をかけた。両の手をポケットに突っ込み、冷たい廊下を歩く。

 食事をとり、トオルは部屋に戻った。
 暗いままの部屋で、ヒナはうずくまるように体を丸めて寝ていた。顔は涙で濡れている。
 今まで泣いていたのだろう。
 灯りをつけても起きる気配はなかった。悔しいことにこの町では停電もなければガスも使えた。
 久方ぶりに温かい湯のシャワーを浴び、上半身裸のまま、トオルはベッドに横たわり、酒を軽く飲んだ。今日は疲れた。精神的に疲れた。
(よく眠れるな。あんな格好で。……疲れていたのか?)
 トオルは首を傾げた。そして寝ている娘を見下ろす。肌には傷一つなかった。
(新聞には怪我を負ったと書かれていたが、治ったのか? あの情報自体が嘘なのか?)
 不思議な娘を見下ろしながら、溜め息をついた。
 ――仲間に連絡をとるべきか? もう少し様子を見ようとトオルは思った。娘のこの様子では話にならないうえ、こちらも全く状況を把握できていない。待ち合わせの日を待とう、その場所まで行こうと、トオルは考える。……ただこの幼稚な娘と共にいることを考えると、憂鬱だったが。
 掛け布を頭まで被った。今日は寝よう。これからのことは、明日考えよう。

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プロフィール

清水結衣

Author:清水結衣
いつもご訪問いただきありがとうございます。

オリジナル中心でお絵かき。たまに版権絵。
そしてぼちぼち文章を。
プロフ画は野分シムロさんに描いていただきました
(*´ω`*)

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