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2017-04

【白い思い出と紅い約束】終章【小説】 - 2015.03.31 Tue

「白い思い出と紅い約束」

終章



 私は眠りに落ちていく。私は眠る……深く深く。


「あんた、こんなところで何倒れてんのよ」
 若い女の声がした後、頭を何かで突かれた。私は目を開けた。仰向けに寝た私の頭の傍に女が立ち、冷たく見下ろしていた。
 肩につかないくらいで切り揃えられた黒髪。鋭い目。黒い瞳、黒い翼。黒いドレス。その姿はまるで鴉。そして手には黒に深い赤で装飾された、女の身長よりも柄の長い鎌。
 その鎌の柄の端で私の頭を小突いたのだ。
「邪魔だよ、邪魔。あんたさぁ、何でこんなところにいるのよ」
「か、かま……? し、死神?」
「なんで死神様が鎌持ってなきゃならないわけ? それに、死神様があんたなんかの前に来るわけないでしょうが」
 黒を纏った女と私は、ただ暗い、黒い世界にいた。
 慌てて起き上がると、周りに降り積もったはずの雪がない。灰色の空がない。私の腕の中に、トオルがいない。
 代わりにあるのは、無数の蝋燭。

 様々な形の燭台の上で、炎がちろちろと揺れていた。長さも燃え方もまちまちの蝋燭が、私たちの周りを囲んでいた。
「トオル……トオルは?」
 慌てる私に、女は溜め息をもらす。
「あの人間は死んじゃって、黄泉の国だよ。あんたは死ねないんだから、さっさと寝ちゃいなさい」
「わ、私もトオルとヨミに行く! トオルに会いたい、よ!」
「あのさぁ、あんた馬鹿じゃない? 何言ってんの?」
「トオルと約束したの! 私……私とあうって」
「あんた……まさか記憶なくしたの?」
 困り顔の女。彼女の絹のように滑らかな長いドレスの裾にしがみついて、私は必死に言い募った。
「私はヒナ! ヒナだよ? トオルと一緒に……」
 私を突き放すかのように女は口を結び、数歩後退りした。大きな鎌を振り上げ、柄で私の頭を殴った。痛みはない。ただ激しい衝撃があった。
「っ……あ、わ、……私」
 女を見上げる。


 思い出した、この顔。思い出した、この場所を。ここは生死が存在しない場所、生死の境。
「……死の……使い?」
 私が「死の使い」と呼んだ女は安堵の表情を浮かべた。
「手荒でごめんね。でも、少し、思い出せたみたいだね。あんたは約束を果たしてもらうために、あっちをうろついてたんでしょ?」
 はい、と女は私に鎌を渡した。私はぼんやりしながらも、それを両手で受け取った。手に吸い付くようにしっくりとした。これは、私の物だった、私の物になっていた。気がした。
「ヒナだか何だか知らないけど。あんたはヒナなんて名前じゃないよ。大体あんたには名前なんてなかったじゃないか」
「名前が……ない……?」
「あんたはさ、地に降りた『炎の精霊』に纏わりついていた、しがない火の粉じゃないか」
「火の粉……」
 その言葉を口にして、私ははっとする。
「あんたは人を見たいって。人になりたいって言ったじゃない。忘れたの? あんなにいろんな精霊に迷惑かけて、いろんなものをもらって地に降りたのに」
「……」
 死の使いの言葉に、私は今までの出来事を思い出そうとする。靄がかかりつつも、断片的に記憶が蘇ってきた。この場所での出来事は思い出せた。
 形ある私はここから始まった。

 仄かな光が点在する暗い世界。生者も死者も存在しない場所。生死の境。
 暗い世界に、翼を持つ娘はいた。遥か昔から、先の定まらない遠い未来まで、彼女――死の使い――はそこにいるのが「役目」だった。
 彼女の冷めた視線の先には宙を漂う曖昧なモノがあった。
 空と大地が穢され続けたことに嘆き、大地に降りたいと願った形ない存在。彼等はこの暗い空間に集った。それが「精霊」だった。
 人の姿を模した精霊という存在は、強い力を纏って地に降りた――。人間が作りあげたものを壊し、燃やし、流し、人を減らした。

 しかし。

 無我夢中で大地を破壊した精霊達が、必死に純粋に生きる人間もいると知った。直向きに懸命に生きる姿を見て、一つの願望が芽生えた。
 ――人に、なってみたい――。
 人になるためにどうすれはいいのか。精霊達は死の使いに訊ねたのだ。
 そうなるだろうと予想していた死の使いは鼻で笑った。
「なれないことはないけどさ。やめておいた方がいいんじゃない? また面倒なことになるよ」
 それでも人になりたい、彼らは言う。
「今だって秩序も何もかも乱れてるんだよ。あんたたちが破壊したからなのに、まだ壊そうっていうの?」
 人になってみたい。さらに願った。
「あっそ、好きにすれば? ただし条件があるけれどもね」
 条件を教えてほしい、彼らは言った。
「あんたたちが人間になりたいなら精霊として終わりを迎えてくるんだ。誓いを果たすのさ」
 精霊から人になる――転生する――ため、精霊としての存在を終わらせる。それはこの暗黒の場所では行えず、再び地上に降りてから各々が行わねばならない、と死の使いは話した。
「ここは生死の境だからねぇ。生きているものはいられないからさ」
 死の使いが肩をすくめて笑う。
 目的、記憶を留めるための品を抱いて大地に降りる。……これは最初に精霊達が地に降りた際にも行ったこと。
 そして、対等な存在と交わした「約束」を果たすこと。それが条件だった。
「約束」は形なき道しるべ、願いだった。
 ――人の形を手に入れても、それは『生きている』とは言えない――。
 ――交わした『約束』を果たすのです。約束を交わした大事な人から、死を賜り、生を賜るために――。
 それは地上に降りてから行うこと、だった。

 炎の乙女から生じた火の粉……それが私。この記憶はこの場所でのこと……。
 そして、ここにいる私は精霊としての終わりを迎えていない……。

「あんたはあっちの世界で迷子になったんだよ」
「迷子……」
 私は鎌の柄を握りしめながら呟いた。
「他の精霊たちは揉めたみたいだけど、何とか約束を果たしたようだよ。あんただけ、約束がそのままなんだよ」
 他の精霊……炎の乙女はもう約束を果たしている……? 彼女に願ったことはどうなってしまったのだろう。彼女が約束を果たせているということは……私はどうなってしまうのか?
「あんたはもらった翼すら失って、疲れすぎたんだ。血を流して穢れたんだ。一度しっかり眠って休みなさいな、全てを忘れて。あんたが叶えなければいけない約束のために」
 俯いていた私は、彼女の顔を見上げた。
「でも、トオルのことは忘れたくない。トオルには会いたい……」
 死の使いは、下唇を噛み、諦め顔で言った。
「それはちょっと難しいんじゃない? 彼は彼として、あんたの前には現れないよ? 仮にあんたの前に現れたとしても、今までの彼の記憶は持ってないだろうし」
 死の使いはしゃがみ込んで私の顔を覗き込んできた。私の肩に手を載せながら、優しく諭すように語り掛けてきた。
「もう、愚かな人間のことは忘れて眠りなさい。そして『ヒナ』だったこと全てを忘れて眠りなさい。そして新しいあんたとして目覚めなさいな。失った翼を取り戻すために。あんたが果たしてもらう約束のために……」



 そっか……。
 私は雪の中で、目を閉じたまま思いを馳せた。

 私は生きていなかったのだ。死ねないのだから。
 ただの火の粉だったのだ。
 精霊としての終わりを賜るために、探していた。姉さまと呼んだあの女性を。
 でも、それが叶わなかった。叶わないままこの体の限界が来てしまった。

 次、私が目覚めた時、今のこの私ではなくなっているかもしれない。
 ――でも。
 でも、あなたを忘れないから。あなたを忘れないでいたい。
 あなたも、私を忘れないでね。
 心が冷える前に念じた。強く強く願った。

 ――生まれ変わってもまた会おう――。あなたは言った。
 目を覚ましても、あなたは私の腕の中にはいてくれないんだね。
 あなたは生まれ変わったら、私を覚えてないんだね。
 でも、私は生まれ変わったあなたに会いたい。
 また一緒に笑いたい。一緒に怒りたい。一緒に泣きたい。歩きたい。走りたい。空を見上げたい。またあなたを抱きしめたい。力一杯抱きしめてもらいたい。
 そして、ただ一緒に、風を感じたい。

 ……会いたい……逢いたいよ……。
 あなたの笑顔を忘れない。
 あなたの温もりを忘れない。
 あなたの優しさを忘れない。
 あなたの強さを忘れない。
 あなたの弱さを忘れない。
 あなたが私のために流した涙を忘れない。あなたと過ごした日々を忘れない。
 人間以上に愚かだった私を、愛してくれたあなたを忘れない。

 雪は降り続く。私たちを白い花びらで覆うように。
 愛しい彼は私の腕の中にいる。いるはずだった。
 彼は冷たかった。私も冷たかった。全てが冷たかった。世界が冷たかった。

 ちゃんと約束、したよね? 約束だから、私、憶えているよ。いつまでも。いつまでもずっと、ずっと――。

 私は眠りに落ちるのか。それとも、眠りから覚めるのか。
 雪は花びらのように舞い続けていた。白い花は紅い雪までも覆いつくしただろうか。

 愛しいモノを抱きつつ、紅い衣を纏った私は、白の想い出に包まれて眠りにつく――。


――完――
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